我が国の先史時代の貝塚などの遺跡から人骨、貝殻、魚骨にまじり、ワカメ、アラメ、ホンダワラ類と思われる海藻が発見されています。

古代日本 には、大陸から狩猟民族、ついで南方から海人が流れ着いたといわれ、海人は海辺に住み魚や貝類されには海藻の食用にしていたであろうことが想像できます。海藻を食する目的の一つに塩分補給があり、また、内陸の狩猟民族とのあいだの交換手段としても海藻が使われていたでしょう。
弥生時代 になり穀物も主食なると不足した塩分を補給するために需要が高まり、それまでのように海藻や海産物からだけでは満たされないため、原始的な製塩法も考え出されています。
紀元1世紀ごろの後漢への献上品の中に、魚、貝、そして海藻などの海産物やその加工品があったといわれています。また、古事記にも海藻に関する記述が見られたり、現存する最も古い歌集「万葉集」には、海藻を詠み込んだ短歌や長歌が、百首ちかくも残されています。これらの詠まれた歌の地域をたどると、近畿を中心として、北陸、山陰、東海、関東、九州と広い地域にわたっており、当時から海藻が広く利用されていて、生活の中に深く入り込んでいました。
万 葉 集 には海藻を焼いて塩を作る藻塩焼の歌も詠まれていますが、塩を作るために使った海藻を「藻塩草」といい、ホンダワラやアラメが使われていました。
その方法は、ホンダワラやアラメを浜辺に積み重ね、海水を何度も上から振りかけては乾かします。これを焼いて塩灰をつくり、釜に入れて淡水を加え、その上澄みを煮詰めて作るものでした。
昔の方法をそのまま伝えているものではありませんが、宮城県の塩釜神社では、7月4日に藻(ホンダワラ)を刈り取る藻刈神事が行われています。翌7月5日には神社の大釜を掃除して、新しい海水に入れ換える水替神事が、7月6日には、4日に刈り取った海藻に前日の海水をかけ、見つめて塩を作る藻塩焼神事が行われます。
その他にも日本各地に、海藻に関する神事が残っており、ことにノリやワカメ刈りの神事は、豊作を祈願し、さらにその繁殖を保護するため、採取の解禁に先立って祭礼を行うものです。
律令時代 にはいると、「租・庸・調」の租税制度が定められ、この中の29種類の海産物中ムラサキノリ、ミル、アラメ、カジメ、ニギメ(ワカメ)マカナシ(芽かぶ)など8種類の海藻が含まれていました。
海人達に科せられた租税、すなわち海藻量はかなりの量であり、海藻の採集は海辺に住む住人にとって貴賤を問わず、日常的な仕事であったと思われます。
各地から都に集められた海藻は、朝廷から役人や神社、寺院へ支給され、余った海藻が都の市などで売られるようになりました。平城京の市では魚屋や豆腐屋とともに、海藻を売る「海藻店(にぎめだな)」と心太を売る「心太店(ところてんだな)」が見られ、続いて加工食品(主として佃煮に類するもの)を売る「海藻店(もはだな)」も出現しました。
平安時代 の食料事情はあまり豊かとはいえず、野菜などが少なく、野草を摘んで食べていました。従って、海藻は当時非常に重要な食料であり、平安京でも東西の市に一店ずつ海藻店と心太店が開かれるなど、次第に一般庶民のものになっていきました。
和名抄によると、この時代はヒロメ、ニギメ、アラメ、ミル、アマノリなど21種類の海藻が食用とされるなど海藻食を重視した時代でした。その後、海藻食は食料生産手段をもった武士階級の隆盛とともにすたれたものの、仏教が盛んになると海藻料理が精進料理に用いられ、また菓子その他の加工品として活路を見いだすようになります。
室町時代 には茶の湯の流行とともに色香の美しい海藻料理が賞味され、鎌倉以後はいろいろな海藻加工品が編み出されて広く食されましたが、そのうち特にノリ、コンブが菓子用に利用されていました。
また、海藻は飢饉のときの食料として、すでに古い時代から利用されてきましたが、戦国時代の相次ぐ戦乱の中、海藻が戦時食として利用されていました。コンブ、アラメ、アマノリ、ヒジキ、ワカメ、モズクなどが干し海藻として戦時の携帯食料や篭城の備えて用いられました。このように現実の中で、食料としては副菜である海藻が救荒食料の一部として庶民に利用されていきました。
江戸時代 になると、たび重なる飢饉に見舞われ、特に享保、天明、天保の3大飢饉は悲惨をきわめました。そのため、幕府や各藩では、飢饉対策として救荒食物の栽培やその貯蔵に努め、競ってコンブ、ワカメ、アラメ、カジメ、ヒジキなどの海藻を備蓄し、産業を奨励しました。そのため地方の特産物が各地に出現することになり、現在の地方の名産品はこの時代に作られたものが多いのです。
この他にも日本人は海藻を食品とするだけでなく、肥料や糊料にも使うなど、生活の様々な分野で海藻を利用してきています。



種類 製品名 特長
干しワカメ 素干しワカメ 採取したワカメを海水で洗浄し、そのまま砂や小石の上に広げて乾燥させたもので水に戻して使う。春先の若い藻体の素干し製品は柔らかくて美味しい。
塩抜きワカメ 素干しワカメと同様であるが、海水の代わりに水で洗って天日乾燥させる。葉の部分は乾燥が早いので、中肋を細分して塩分を完全に除かないと吸湿・変化して長く貯蔵できない。
吊干しワカメ 素干しワカメと同様であるが、乾燥を物干し台のような乾燥台で行ったもので、歩留まりは約10〜20%。当地方の乾燥製品はほとんど吊干しである。水洗いした後、縄でしばって干したものを「絞りワカメ」ともいう。
灰干しワカメ 採取したワカメにシダやススキ等の灰をまぶして天日乾燥させたもので、灰のアルカリ分により自己分解が阻止され、長時間にわたり葉体の弾力性が低下せず、葉緑素の原色を維持した製品になる。主に徳島県鳴門地方で製造され、「鳴門ワカメ」として全国的に知名度が高い。昔、東北地方でも灰干し製品を作り、また生ワカメを鳴門へ送った。
板ワカメ
(のしワカメ)
生ワカメを水で洗い数条に切り、ムシロなどの上で天日乾燥させる。食塩を振りかけ処理したものを「板ワカメ」という。他のワカメ製品に比べてミネラル、ビタミンを多く含み、あぶったり、細かくして食べる。
湯抜きワカメ 生ワカメを熱湯で湯通しして冷水に移し、乾燥させたもの。緑色となる。
糸ワカメ ワカメを塩分がなくなるまで淡水で洗い日干し、半乾きのとき中肋を除去後縦割にして十分に干す。その後、水で適度の湿気を与えムシロで覆って数時間蒸し、柔らかくなったら手で揉み風乾する。葉に白粉が出るまでこれを繰り返し、最後に十分乾燥させる。
揉みワカメ 生ワカメを海水で洗い天日乾燥させる。切込みを入れお茶を揉む要領で粘り気が出るまで揉む。表面が乾燥した後同様に揉む。これを5〜6回繰り返しムシロの上で水分含量20%程度まで乾燥させ、密封容器で保存する。
カットワカメ 昭和50年代に開発され、湯通し塩蔵したワカメを洗浄・脱水し、熱風乾燥した後に細断した製品。戻したり切ったりしなくても、そのまま使える手軽さと衛生的なことから、新タイプの乾燥ワカメとして生産、消費ともに伸びている。
塩蔵ワカメ 塩揉みワカメ ・塩揉みワカメ 「揉みワカメ」と異なる点は、原料に対して5〜10%の食塩を加えて脱水し塩蔵処理する点である。これを乾燥させる場合と、そのまま湿潤状態で包装貯蔵する2通りがある。
生塩蔵ワカメ 古くから行われてきたが、昭和30年代の終わりから大量生産された。生ワカメを塩で漬け込み、軽く重石をして脱水し、さらに塩をまぶす。生の味、香りと成分を生かしたまま保存でき、柔らかいのが特徴。長期保存の場合は冷凍し、必要に応じて解凍する。
湯通し塩蔵ワカメ 現在、主として行われている加工方法。ワカメを海水等でボイル後急冷し、食塩添加、脱水、芯ぬき工程を経て製品化される。他の加工法に比べて、吸湿し難く長時間の保存に耐え、品質もよく利用範囲が広いが、歩留まりが少ないのが欠点。
その他の
加工食品
茎加工品 ワカメの生産地では古くから漬物等として食用に供せられていましたが、昭和50年頃から調味加工技術が開発され、主に茎しば漬け等に加工され販売されている。
めかぶ加工品 「めかぶとろろ」として、養殖の始まる以前から熱湯に通して酢醤油で食べていた。昭和50年代前半に、日本海側の食用海藻のアカモクが激減したことから代用品として利用されたことを契機として広まり、近年健康食品として需要が増加している。